思いっきり、謙虚に。
だいぶ前に、この道を歩き始めたと思う。途中、道が2本に別れてたりとかして、そのたびに悩んで、時には自分の野生の勘に頼ってどちらか1本の道を選び、そんなことばかりして、回り道もたくさんして、今ここです。とにかく前ばかり見て歩いて歩いて歩いて、たまに自分よりも全然前の方を歩いてる人とか発見して、ひとり取り残されたように感じたりするのですが、そう思って後ろを振り返ってみれば確かに私はずっと遠くまで歩いてきて今ここなのです。
まっすぐ歩けるようになって調子に乗ってきたところでいつも足を出されて転んだりするのは、ちゃんと安全なのかを確認しながら歩きなさいと戒められているような気がします。しっかりと、足元を踏み固めながら少しずつ少しずつ歩いてます。
先日、小さい頃からチェロを習っていた先生に久しぶりにメールしてみました。
「人と違うことでも自分を信じて思いっきり謙虚に表現して行ってください」とお言葉をいただきました。
そして、それが人を教えることにもつながるということも。
この2年半はたくさんの人と出会い、たくさんの人の力をお借りして、たくさんの収穫がありました。
たった一人ではできなかった事ばかりです。意外といつも気にかけてくれている人の存在に気づいたり、または違う場所でもっと頑張っている人の活躍を聞いたりすることで、やっぱり自分も自分の土俵で頑張ろうと思いなおすのです。
どんなに考えたって、「自分の山を登る」以外に選択肢はありません。
結果がついてくるのは多分もう少し先だと思いますが、少しずつ、まわりに人が集まり始めている気がします。
思いっきり、謙虚に。
だいぶ前に、この道を歩き始めたと思う。途中、道が2本に別れてたりとかして、そのたびに悩んで、時には自分の野生の勘に頼ってどちらか1本の道を選び、そんなことばかりして、回り道もたくさんして、今ここです。とにかく前ばかり見て歩いて歩いて歩いて、たまに自分よりも全然前の方を歩いてる人とか発見して、ひとり取り残されたように感じたりするのですが、そう思って後ろを振り返ってみれば確かに私はずっと遠くまで歩いてきて今ここなのです。
まっすぐ歩けるようになって調子に乗ってきたところでいつも足を出されて転んだりするのは、ちゃんと安全なのかを確認しながら歩きなさいと戒められているような気がします。しっかりと、足元を踏み固めながら少しずつ少しずつ歩いてます。
先日、小さい頃からチェロを習っていた先生に久しぶりにメールしてみました。
「人と違うことでも自分を信じて思いっきり謙虚に表現して行ってください」とお言葉をいただきました。
そして、それが人を教えることにもつながるということも。
この2年半はたくさんの人と出会い、たくさんの人の力をお借りして、たくさんの収穫がありました。
たった一人ではできなかった事ばかりです。意外といつも気にかけてくれている人の存在に気づいたり、または違う場所でもっと頑張っている人の活躍を聞いたりすることで、やっぱり自分も自分の土俵で頑張ろうと思いなおすのです。
自分にとって逃げるべきではないことと、踏み込むべきではないことと 、いろいろ選択していかなくてはなりません。
しかし、どんなに考えてもいつもたどり着く答えはかわりませんでした。
結局は「自分の道を歩きつづけること」が私にとって最善の方法でした。
結果がついてくるのは多分もう少し先だと思いますが、少しずつ、まわりに人が集まり始めているのかもしれません。
思いっきり、謙虚に。
だいぶ前に、この道を歩き始めたと思う。途中、道が2本に別れてたりとかして、そのたびに悩んで、時には自分の野生の勘に頼ってどちらか1本の道を選び、そんなことばかりして、回り道もたくさんして、今ここです。とにかく前ばかり見て歩いて歩いて歩いて、たまに自分よりも全然前の方を歩いてる人とか発見して、ひとり取り残されたように感じたりするのですが、そう思って後ろを振り返ってみれば確かに私はずっと遠くまで歩いてきて今ここなのです。
まっすぐ歩けるようになって調子に乗ってきたところでいつも足を出されて転んだりするのは、ちゃんと安全なのかを確認しながら歩きなさいと戒められているような気がします。しっかりと、足元を踏み固めながら少しずつ少しずつ歩いてます。
先日、小さい頃からチェロを習っていた先生に久しぶりにメールしてみました。
「人と違うことでも自分を信じて思いっきり謙虚に表現して行ってください」とお言葉をいただきました。
そして、それが人を教えることにもつながるということも。
この2年半はたくさんの人と出会い、たくさんの人の力をお借りして、たくさんの収穫がありました。
たった一人ではできなかった事ばかりです。意外といつも気にかけてくれている人の存在に気づいたり、または違う場所でもっと頑張っている人の活躍を聞いたりすることで、やっぱり自分も自分の土俵で頑張ろうと思いなおすのです。
自分にとって逃げるべきではないことと、踏み込むべきではないことと 、いろいろ選択していかなくてはなりません。
しかし、どんなに考えてもいつもたどり着く答えはかわりませんでした。
結局は「自分の道を歩きつづけること」が私にとって最善の方法でした。
結果がついてくるのは多分もう少し先だと思いますが、少しずつ少しずつ、まわりに人が集まり始めているのかもしれません。
思いっきり、謙虚に。
だいぶ前に、この道を歩き始めたと思う。途中、道が2本に別れてたりとかして、そのたびに悩んで、時には自分の野生の勘に頼ってどちらか1本の道を選び、そんなことばかりして、回り道もたくさんして、今ここです。とにかく前ばかり見て歩いて歩いて歩いて、たまに自分よりも全然前の方を歩いてる人とか発見して、ひとり取り残されたように感じたりするのですが、そう思って後ろを振り返ってみれば確かに私はずっと遠くまで歩いてきて今ここなのです。
まっすぐ歩けるようになって調子に乗ってきたところでいつも足を出されて転んだりするのは、ちゃんと安全なのかを確認しながら歩きなさいと戒められているような気がします。しっかりと、足元を踏み固めながら少しずつ少しずつ歩いてます。
先日、小さい頃からチェロを習っていた先生に久しぶりにメールしてみました。
「人と違うことでも自分を信じて思いっきり謙虚に表現して行ってください」とお言葉をいただきました。
そして、それが人を教えることにもつながるということも。
この2年半はたくさんの人と出会い、たくさんの人の力をお借りして、たくさんの収穫がありました。
たった一人ではできなかった事ばかりです。意外といつも気にかけてくれている人の存在に気づいたり、または違う場所でもっと頑張っている人の活躍を聞いたりすることで、やっぱり自分も自分の土俵で頑張ろうと思いなおすのです。
どんなに考えたって、「自分の山を登る」以外に選択肢はありません。
結果がついてくるのは多分もう少し先だと思いますが、少しずつ、まわりに人が集まり始めている気がします。
だいぶ前に、この道を歩き始めたと思う。途中、道が2本に別れてたりとかして、そのたびに悩んで、時には自分の野生の勘に頼ってどちらか1本の道を選び、そんなことばかりして、回り道もたくさんして、今ここです。とにかく前ばかり見て歩いて歩いて歩いて、たまに自分よりも全然前の方を歩いてる人とか発見して、ひとり取り残されたように感じたりするのですが、そう思って後ろを振り返ってみれば確かに私はずっと遠くまで歩いてきて今ここなのです。
まっすぐ歩けるようになって調子に乗ってきたところでいつも足を出されて転んだりするのは、ちゃんと安全なのかを確認しながら歩きなさいと戒められているような気がします。しっかりと、足元を踏み固めながら少しずつ少しずつ歩いてます。
先日、小さい頃からチェロを習っていた先生に久しぶりにメールしてみました。
「人と違うことでも自分を信じて思いっきり謙虚に表現して行ってください」とお言葉をいただきました。
そして、それが人を教えることにもつながるということも。
この2年半はたくさんの人と出会い、たくさんの人の力をお借りして、たくさんの収穫がありました。
たった一人ではできなかった事ばかりです。意外といつも気にかけてくれている人の存在に気づいたり、または違う場所でもっと頑張っている人の活躍を聞いたりすることで、やっぱり自分も自分の土俵で頑張ろうと思いなおすのです。
自分にとって逃げるべきではないことと、踏み込むべきではないことと 、いろいろ選択していかなくてはなりません。
しかし、どんなに考えてもいつもたどり着く答えはかわりませんでした。
結局は「自分の道を歩きつづけること」が私にとって最善の方法でした。
結果がついてくるのは多分もう少し先だと思いますが、少しずつ少しずつ、まわりに人が集まり始めているのかもしれません。
