名前のはなし

先日、ピアニストの小夜ちゃんとコンサートなどでお世話になっている方にご馳走になりました。ふつうに生きてるだけじゃ食べられなかったかもしれないフグ懐石・・・。ああ美味しかった。。

そこで小夜ちゃんって素敵なお名前ですね、という話から「人は名前に沿った生き方をする」という話題になりました。ふと周りの人たちを考えてみると、なるほどと思ったりもするのです。私の名前は杏の子できょうこと言いますが、何か意味があるというよりも耳で聴いて目で見て、というように感覚的に付けられた名前だと思います。だからか何でかわからないけれども、私は結構感覚で生きている気がします。勘とか、感性とか、そういう類のものに頼っている感じ。読む本も内容というよりも文章のセンスとかリズムで選んでいるし、音楽をする時も何か難しいことを考えるよりも感覚で演奏している気がします。

室生犀星の本で『杏っ子』という本があります。犀星は度々小説で溺愛した娘のことを『杏』と表現して登場させたみたいなのですが、犀星の詩集にはちゃんと杏っ子のための詩が載っています。

小景異情 その六

あんずよ
花着け
地ぞ早やに輝やけ
あんずよ花着け
あんずよ燃えよ
ああ あんずよ花着け

大学生で東京に一人暮らししていた時やドイツで一人暮らしていた時にも、親はこの詩をハガキに書いて送ってくれていました。
いつも名前の由来はきいてもよくわからなかったんだけど、父親は私の名前を付けた時にこの詩のことを言っていたそうです。なんか、願ってるだけで終わってるのがこの詩の気になるところ。

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