表面と内面

この1週間で随分と本番をやって色々な場所へ駆けずりまわっていました。北見までの道すがら、油断していたらスピード違反を取られ稼いだ分も半分が飛んでいきました。先日のミュージアムコンサートではラヴェルのピアノ三重奏曲を演奏しました。難しい曲なので曲の理解はほぼ出来ても演奏の面で細かい部分まで詰めるのは流石に難しく、いずれまた、しっかりと勉強したい曲のリストに組み込まれました。

何かを深く理解して初めて楽しめることが、この世には沢山あるのだなぁと思います。作曲家たちはとても多くの作品を残しますが、年齢によって随分と作風も変わりますし聴きどころも変わってきます。とても有名な曲、たとえばラヴェルであればボレロや亡き王女のためのパヴァーヌなど、は一瞬で人の心を捉える魅力がありますが、ピアノ曲や室内楽曲にも多数、隠れた名曲があります。ひとりの作曲家には表の表情があれば内の内情もあります。他人の内面を覗くのは少し勇気がいりますが、知った方が付き合いやすくなることもあります。私は作曲家に対してもそう付き合いたいと思っています。とにかく食わず嫌いせずに入り込んでみると色々な仕掛けを発見できて楽しいです。

クラシック音楽を聴いて楽しいと思ってもらえるにはどうしたらいいのか、演奏活動を始めてからずっと考え続けています。自分が音楽に求めるものと、多くのお客様が私たちのように楽器を弾く者に求めることとのギャップが果たして自分の努力で埋められるのか、今はまだ答えがみつかっていません。世間一般に受け入れられるかどうか、というのは実はそれほど重要ではないかもしれないし、とてつもなく重要なことなのかもしれません。

今日朝日新聞に掲載されていた青柳いづみこさんの記事を読みました。今年生誕150年を迎えるドビュッシーは印象派作曲家と世間では呼ばれていますが、実は作曲家自身そのことに関して抵抗感を示していたようです。【記事によれば、20世紀始めに「印象派ふう」と誤解されそうなピアノ曲「映像」を作曲中にドビュッシーは出版社に向けて「私は、あのバカ者どもが呼ぶところの『印象主義』とは全く『別のものを』作ろうとしているのです」と手紙を書いていたそうです。】12月に演奏予定のチェロとピアノのためのソナタは、ドビュッシーがオペラ『ペレアスとメリザンド』の初演を成功させそれまでの作風と全く違う傾向を見せた頃に書かれた曲です。ドビュッシーが表現したかったことはアラベスクや月の光のように表面的に綺麗なものではなく、もっと内面的な暗くてグロテスクな部分だったのではないかと思うのです。人の記憶や心の奥深くにある何かを呼び覚ますようなひたすら内面に働きかけるような音楽に感動する時、音楽を勉強してきてよかったな、と思うのです。

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